あの頃の私への手紙 #05
いい空気の人と、一緒にいよう
ー 少年野球の人間関係に苦しくなった、あの頃の話 ー
あの頃、私は、足元がぐらりと揺れる経験をしました。
あの揺れの中で、自分の輪郭を見失わずに済んだ理由を、書いておきます。
息子の少年野球の、あの頃の話です。
子どもたちのため、と思って動いてきたつもりでした。
チームの補食のこと、体験会で困ったご家庭への対応のこと。
どれも、自分なりに、いちばんいいと思う言動でした。
正解だったかは、いまも、分かりません。
ただ、いいチームにしたかった。いいチームにするために必死だった。
それだけは、自分でも、はっきりと言えました。
ある日。
思いがけない言葉が、私のところに届きました。
必死にやってきただけなのに、
悪者にされているということは、はっきりと伝わってきました。
最初、何のことか、本当に分からなかったのです。
——えっ。
頭の中で、もう一度、繰り返しました。
それでも、何のことなのか、つながらなくて。
つながった瞬間、胸の奥が、しん、と冷えました。
・ ・ ・ ・
私の悪口を言う人がいました。私はいいチームに変えたかった。
強いチームになりたかった。
こうしたらいいんじゃないと言った事が、その人にとって都合のいいように切り取られ、作られていた。
形を変えた私の言動が、私の知らないところで、大きくなっていた。
私の中の言葉ではない、別の誰かの言葉によって、私の輪郭が、別のかたちに書き換えられている。
そういう感じが、しました。
身体は、心より、正直でした。
スーパーに行くだけで、動悸がしました。
ふつうに買い物しているはずなのに、心臓だけが、ばくばく鳴っている。
車で悪口を言った人の家のそばを通るだけで、胸の奥が、きゅっと縮みました。
娘の入学式の最中も、その人の事が頭をよぎり、悔しかった。
人生で、はじめて知る自分でした。
夜、眠れない時間が増えました。
布団の中で、頭の中で、なんで?どうして?ぐるぐると回りました。
反論する言葉。
説明する言葉。
相手に分かってもらえるはずの言葉。
そんなものを、何度も、頭の中で、並べました。
並べて 戦いに行けばいいのか。いや 戦うと本当にチームが壊れてしまう。
そのことに気づいた時、もう一度、深く、疲れました。
その時は 子供の好きな野球を辞めさせるとか、チームを変えるとか
そんな選択肢はありませんでした。
親の都合で子供の野球を奪うべきでないと思っていました。
そこから立ち上がるまでには、少し、時間がかかりました。
支えてくれたのは、私の中の、過去でした。
学生時代、厳しい部活をやっていた頃の、「逃げなかった」自分。
朝から終電まで仕事をしていた頃の、「我慢して耐えてきた」自分。
3人の子をワンオペで育てる中で、「何度も自分に「大丈夫」と言い聞かせてきた」自分。
それらが、私の中で、立ち上がってくれました。
間違ったことは、していない。そんなこと言ってない。
そして 時間が 少しずつ心を洗ってくれました。
そして、もう一つ、救われたのは、まわりの存在でした。
周りの保護者の方たちは、私に何も言わないでいてくれました。
ただ、「いつも通り」を、変えませんでした。
いつも通り たわいも無い話をして、いつも通り笑って、いつも通り解散する。
「あれは、おかしいよね」と、わざわざ口にしてくださる方も、いました。
でも、私は、その話に、深くは乗りませんでした。
連鎖を、止める側に、立ちたかったのです。
「○○さんは、こうだった こう言ってた」と私が広げてしまえば、
悪口を言う人がしていることと同じだ。
また「自分が責められている」と感じる人が、生まれます。
このチームが壊れていくとしたら、悪い人がいるから、ではないのだと、思いました。
正義の連鎖が、止まらないから、なのです。
止める側に、立ちたかった。
これが正解か、分かりません。
でも、こうしたら、濁った空気は、ちゃんと、少しだけ短く済みました。
「みんな、自分の正義を持っている」
そう、思えるようになるまでには、少し、時間がかかりました。
私にきつい言葉を届けたあの方にも、あの方なりの正義があった。
わが子のことを思っての、ぎりぎりの行動だったのかもしれない。
あの言葉も、その人にとっては、精いっぱいのSOSだったのかもしれない。
野球を支えている母ちゃんたちは、本当に、みんな、いい人ばかりです。
それは、いまだから、断言できます。
「余裕があるから、やっている」のではなくて、
「余裕がないのに、頑張っちゃっている」人たちの集まりなのです。
あの方も、たぶん、そうだったのだろうと、いまは思います。
覚悟を決めて、ぎりぎりまで、自分の子と、チームのために、頑張っていた人。
ただ、その頑張り方が、私とは、違うかたちだった。
ただ、それだけだった、のだと思います。
そう書ける日が来るとは、あの頃の私は、思っていませんでした。
「10人いたら、2人くらいは、合わない人がいる」
それは、後になって、自分に言い聞かせるようになった言葉です。
100人と仲よくしなくていい。
苦手な人とは、距離をとっていい。
合わせなくていい。
いい空気の人と、一緒にいよう。
人間関係は、3つくらい居場所があれば、大丈夫。
そう思えるようになったのは、あの頃よりも、もう少し、後のことでした。
「また言っちゃってるー」と、流せる日。
「あの人は、あの人で大変なんよね」と、ふっと言える日。
そういう日は、ちゃんと、後から、やってきました。
息子は、家から少し離れた、強豪の中学硬式チームに進みました。
そこで出会った保護者の方たちは——
本当に、いい人ばかりでした。いい空気が流れていました。
その人たちの多くも、これまでに、似たような苦い経験をしていた方ばかりです。
だから、空気を悪くしない選択を、最初から、知っていた。
危ない空気を察知したら、すっと距離をとる術も、知っていた。
「あの頃」を経験したからこそ、私はその輪に、自然に、加わることができました。
余計な事は言わない。言う時は言葉を選ぶ。正解に白黒つけずにグレーにする。
そういう種類の、優しさでした。
悪口を、絶対に言わない自分に なれていました。
危険な空気を察知したら、すっと身を引く術も、覚えていました。
あの頃の苦しみは、ちゃんと、私のかたちを、変えてくれていました。
最近は チームを変える人も多くなりました。
辞める理由を聞いて傷つく人も増えています。
「やめていく人は、このチームでは、できなかった。ただ、それだけ」
そう言葉にできるようになったのも、ずっと、ずっと、後になってからです。
その言葉は、辞めていった人を悪く言うためのものでは、ありません。
残っている人の心の中に、波風を、立てないための、言葉です。
「あの人のせいだ」と誰かが言いはじめた時、
「ううん、ここで できなかっただけ。」と、自分の中で、そっと結論を置く。
それで、私の中の波は、ふっと、静かになりました。
あの頃の私に、もし、いま声をかけられるなら——
あの頃は、本当に、苦しかったね。
スーパーで動悸がしていたあなたを、ちゃんと、知っているよ。
車で家のそばを通るのが怖くて、遠回りしていたあなたも、知っているよ。
大丈夫。
「また言ってるわー」と、笑って受け流せる日が、ちゃんと、来るからね。
あの方にも、あの方なりの正義があった、と思える日も、ちゃんと、来るからね。
あなたが連鎖を止めたから、濁った空気は、ちゃんと、短く済んだよ。
あなたは、これから、もっと、いい空気の人たちと、出会うよ。
似た経験をした人たちが、中学のチームで、あなたを、温かく迎えてくれるよ。
あの頃の涙は、無駄じゃない。
ちゃんと、「間違ってないよ」と、自分に言える人にしてくれるからね。
ちゃんと、悪口を言わない人にしてくれるからね。
ちゃんと、「いい空気の人と一緒にいよう」と、思える人にしてくれるからね。
※ このブログは、特定の個人・チーム・指導者を批判する意図はありません。すべて「我が家の場合」の振り返りです。登場する方は皆、自分なりの正義をもって頑張っていらした方々だと、いまの私は思っています。
※「あの頃の私への手紙」シリーズ、これから少しずつ書き溜めていきます。よかったら、また読みに来てください。
過去の記事は、こちらから。


コメント