少年野球の保護者はなぜ大変? 善意で回るチームの限界

チームと仲間の物語

あの頃の私への手紙

少年野球の保護者はなぜ大変? 善意で回るチームの限界

少年野球のチームは、たくさんの「善意」で、回っています。
でもね。
善意だけだと、いつか、どこかで、誰かが、倒れます。

チーム運営の、当番の話を、私が経験したことを 書いてみます。


私が、最初に入ったチームは、母親が中心の運営でした。

朝、テントを立てて、シートを広げて、コーチの待機場所を整えて、お茶を出して。
指導者のお昼ごはんは、当番制で 作る。
週末は ほぼ全員が グラウンドにいる。

家のこと、仕事、送迎、ご飯、洗濯、兄弟児の準備。
それを全部 抱えたうえで です。

業務は、正直、仕事より 大変なことの方が 多い。 笑

それでも、母たちは よく動いて よく笑っていました。
覚悟の決まった いい人たちの かっこいい集まりでした。


でも、その「善意」には、限界が ありました。

ご近所の 人気のチームは、当番が なくて。
体験会に来てくれた子が、そっちに 流れていく。

「あっちのチームは 親の手伝いが ほとんど無いそうです。」

そう言われると、もう、何も言えませんでした。

正直 私も そっちにしとけば 良かった 笑

それから、こんなことも ありました。

体験会に来られた ご家庭の中には

車がない。 仕事で 毎週土曜日は送迎できない。 など。

家がすぐ近くなら 一緒に 乗せていくよ、って 言えたかもしれません。

でも、そのご家庭のために 毎週末 片道プラス20分。往復40分を。

ワンオペで、3人を抱えて、私自身、必死で。
もう、注げる力が 残っていなかった。

でも、それを、「やってあげればいいのに」と、陰で言う保護者も、いたみたいです。

——善意だけで回そうとすると、
「できる人」と「できない人」の間に、線が、引かれてしまう。

頼める人に、負担が、寄っていく。
頼めない人は、肩身が、狭くなっていく。

これは、誰かが、悪いんじゃ、ないんです。みんな、必死なだけ。

でも、その線引きが、チームの空気を、少しずつ 削っていきました。


そんなチームが、少しずつ、変わっていきました。

「できる人が、できることをやる」

そういう形に、舵を、切ったのです。(その頃の話はこちらに書きました。)

当番を、なくしました。

そうすると、今度は 別の難しさが 出てきます。

毎回、同じ人が、頑張ることに なる。

だから、その不満が 出ないような空気を、みんなで 作っていかないと いけませんでした。


そこで、いちばん、大事だと思ったのは、これです。

「業務ができないから」「来られないから」を、快く「いいよ」に できる工夫。

最初から、「できないから」と、何もしないと 不平不満が 出ます。

でも、その人が 「できる仕事」を 割り当てる。
できなかった時は、やってくれた人に ちゃんと 感謝する。

それだけで、空気が 変わるんです。

たとえば ── 試合中に動けない人にも、できることがある
小さい赤ちゃんがいるご家庭は、本部に 入れない。(お父さんが 子守を する手もありますね。)
そういう方には、写真を撮ってもらったり、大会の日の お弁当の取りまとめをお願いしたり、SNSの発信を 担ってもらったり。

「試合中に 動けない人」にも、ちゃんと できることが ある。

大事なのは、たぶん、ここなんです。

「助けて あげたいな」と、お互いに 思えるかどうか。


正直に、書いておくと、

本当は、当番が あったほうが、不平不満は 出にくいんです。

みんな、平等。だから、いい空気が 流れやすい。

じゃあ、なぜ、なくすのか。

——そのチームで、プレーしたいと、子どもが 思っているのに、
親の都合で、入れない子が いるからです。

そういう家庭も 受け入れたいなら、当番制を、なくすしか ない。

どちらが、正解、ではないと 思います。
当番ありにも、当番なしにも、それぞれの ちゃんとした、正義が、ある。

ただ、当番をなくした道を 選んだなら。

「全く手伝っていない保護者の子が、スタメンで、ずっと手伝ってきた保護者の子が、メンバーから外れる」
そんな日も、来るかもしれない。
そういう時、心が、ざわっと、するのも 本当です。──その瞬間だけを、切り取ったら、ね。


でも、長い目で 見たら。

子どもが、試合に出る、出ない、よりも、
「親子で、一緒に、頑張った」っていう時間のほうが、ずっと、いい家族を 作ってくれる気が するんです。

一人で頑張るのは、辛いけど、一緒に頑張る人が いたら、楽しい。

同じ学年の 親同士が 仲がいいと、お互いに、頼れる。
「いいよ、こっちは やっとくよ」が 言い合える。

それが、いちばん、楽しいんですよね。

長い人生の中で、子どもと 一緒に、何かに 一生懸命になれる時間なんて、ほんの 数年です。

何のために、働いているのか。何のために、生きているのか。

突き詰めると、この数年は、すごく 贅沢で、大切にしたい時間だなあ、と、思うのです。

——もし、この先、子どもが ちょっとくらい 横道にそれても、
この数年の 親子のつながりで、踏みとどまってくれる。

そんな、根拠のない自信さえ、あります。 笑


善意は、尊いものです。

でも、善意「だけ」では、続きません。

できない人にも、できることを 用意する、仕組み。
やってくれた人に、ちゃんと 感謝が まわる、空気。

その両方が あって、はじめて、チームは 続いていく。

そして、その過程で、
親も、子どもと一緒に、育てて いただくんだなあ、と 思います。

当番ありのチームも、当番なしのチームも、それぞれに良さがあり、
どちらも 子どもたちのために 頑張る 大人たちの 集まりでした。

あの頃の私へ。

10年後に、振り返った時、

子どもと、一緒に、必死だった、あの数年。
親同士で、笑い合った、あの時間。

宝物になって、残っていたよ。

大変だった分だけ、楽しかったって、言える日が、来るからね。

今日もおつかれさま。

※ このブログは「我が家の場合」の振り返りです。特定の個人・チーム・指導者を批判する意図はありません。

※ よかったら、また、読みに来てください。

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