子どもが腰椎分離症と診断されて、「この先、どうなるんだろう」と検索している夜のお母さんへ。
我が家の場合、小5の秋に「腰、なんか痛い」と言った日から、高校で「痛くない」と言えるようになるまで、6年かかりました。
この記事は、その6年間を時系列に並べた「まとめ」です。あの頃の私が先に知りたかったことを、各段の終わりに一言ずつ添えています。それぞれの場面は別の記事に詳しく書いているので、いま気になっているところから読んでみてください。
※これは我が家の体験の記録です。私は医療の専門家ではありません。腰の痛み・診断・治療については、必ず医療機関にご相談ください。
小5の秋 「腰、なんか痛い」から始まった
怪我とは無縁だった子が、素振りの自主練のあとに「腰、なんか痛い」と言い出しました。
整形外科でレントゲン、そのあと大きな病院でMRI。
診断は、腰椎分離症。腰の疲労骨折でした。
「野球も体育もお休みしてください」
診察室で、息子の表情が消えました。帰りの車で、二人で泣きました。
誰よりも努力していたはずの素振りが、野球ができなくなる原因になった。
いま振り返ると、あの涙は、序章でした。
あの頃の私に言うなら。
「腰が痛い」と言った時点で、病院に連れて行けたのは、正解でした。小さなSOSを聞き逃さなかったこと。それだけは、あの日の自分を褒めていい。
小6〜中2 「治った」と思ったら、また。再発は4回
1ヶ月以上休んで、復帰しました。私は「もう、大丈夫」と思っていました。
でも、6年生で再発。
「一度なると、再発しやすいんです」と言われました。
キャッチャーを断念して、ファーストとサードへ。
中学に入ってからも、中1の秋、中2の夏と、繰り返しました。
痛みが出れば検査、診断、休む、トレーニング、復帰。
その度に「またか……」と、息子と二人、車の中で泣きました。
繰り返すうちに、我が家が知っておいてよかったと思ったことが、ふたつあります。
ひとつは、病院によって、対応が違うことがあるということ。休む期間も、コルセットの使い方も、先生によって言われることが違いました。
もうひとつは、分離の度合いによって、休む期間が変わるということ。同じ診断名でも、そこは一人ひとり違うようです。
だから、我が家の「1ヶ月以上・3ヶ月」を、そのまま当てはめないでください。
あの頃の私に言うなら。
「1回休めば終わり」ではないかもしれない、と最初に知っていたら、6年生の再発の日に、あんなに崩れなかったと思います。「治った」ではなく「歩いている」。その言葉に辿り着くまでが、我が家はいちばん長かった。
→ 腰椎分離症の再発を4回 「治った」とまだ言えない母の、正直な記録
毎日の道具 コルセットは、いつかお守りに変わる
再発を繰り返した数年間、息子の毎日には、コルセットがありました。
「つけてないと、不安になってる」
そう言った息子の隣で、私にできたのは、通院の送迎と、頑張っている子の隣にいることだけでした。
あの頃の私に言うなら。
何もしてあげられない、と思っていたけれど、隣にいることは「何もしていない」ではなかった。コルセットが毎日の道具でなくなる日は、ちゃんと来ます。
→ 腰椎分離症とコルセットの数年間 コルセットは、いつかお守りに変わる
中2の夏 ピラティスとの3ヶ月
何度目かの再発の時、息子は「何かしていないと、不安」と言いました。
バットは振れない。ボールも投げられない。走れない。でも、何かしたい。
私が通っていたピラティスの先生に、息子の腰のことを話したのがきっかけでした。
足の指を、一本ずつ、動かす。腰には一切負担をかけない、地味な、地味な動き。
週1〜2回、3ヶ月。
送迎の車の中で、思春期の息子が、めずらしくよく喋りました。
「足の指、マジで動かん」
あの頃の私に言うなら。
休んでいる間の「何かしたい」に、腰に負担をかけずに応えられる場所を探してよかった。そしてこの3ヶ月は、しんどい時期だったのに、終わってみたら宝物の時間も置いていってくれました。
→ 腰椎分離症のリハビリとピラティス 変わったのは、身体だけじゃなかった
休んでいる間と、復帰したあと 続けた習慣
休んでいる間にできることは、思ったよりありました。
毎日の入浴、座り方、股関節のストレッチ、足首と足裏のケア。
「トレーニングしていい」と言われてからは、体幹のトレーニングとピラティスで、インナーマッスルを育てました。
我が家では、それを「天然のコルセット」と呼んでいます。
あの頃の私に言うなら。
苦手だった地味なトレーニングが、あとになって、バッティングの土台になっていたように感じています。休んでいる時間は、止まっている時間ではありませんでした。
→ 腰椎分離症の再発予防に続けた習慣 筋肉は天然のコルセット
そして、いま 高校で「痛くない」と言えるように
高校に入り、成長期が終わって身体が変わってきた頃から、息子は腰の痛みを口にしなくなりました。
細かったウエストは、コルセットの時代を経て、しっかりした腰になりました。
寮のある高校へ行く時、息子は自分のストレッチポールを車に載せました。
「これ、いる」
いまも、ごろごろとほぐしているそうです。
ただ、痛みはなくても、たまに少し疼くような感覚はあるようです。
そういう時は、本人が自分で判断して、少し休んだり、ケアを入れたりしています。
「治った」と私が言い切ることは、いまもできません。
でも、6年前には想像もできなかった場所に、息子は立っています。
あの頃の私に言うなら。
6年後に残ったいちばんの財産は、痛みが消えたことより、自分の身体のSOSを自分で聴けるようになったことでした。
6年間を、ひとことで
練習のやりすぎは、良くなかったのかもしれません。
でも、あの時は、それがいちばん必要だと思って、やってきました。
だから「たら」も「れば」も、ありません。
息子も、こう言います。
「怪我はしたけど、あの時の努力は、いまの自分に繋がっている。全く後悔していない」
——そこが、全てだと思っています。
診断の日の夜に、この記事を読んでいるお母さんへ。
我が家の6年は、あくまで我が家の場合です。同じにはならないと思います。
でも「この先、どうなるんだろう」の答えが少しでも見つかることを願っています。
※これは我が家の体験の記録です。私は医療の専門家ではありません。腰の痛み・診断・治療・リハビリについては、必ず医療機関にご相談ください。
※ よかったら、また読みに来てください。


コメント