野球未経験かあちゃんの記録 #03|腰椎分離症「治ったとまだ言えない母の、正直な記録

ケガと回復の記録

あの頃の私への手紙#3

野球未経験かあちゃんの記録#03/腰椎分離症
『治った』とまだ言えない母の、正直な記録

何度倒れて、何度立ち上がったか。
正直に書きます。
今もまだ、私は「治った」と、言えていません。

この記事は、「腰椎分離症」と何年もつき合ってきた、ある母親の振り返りです。
「治った話」ではなく、「まだ歩いている途中の話」として、読んでいただけたらと思います。

小学5年生の秋、素振りの自主練の最中に、息子がぽつりと言いました。

「ねえ、お母さん。腰、なんか痛い」

ありふれた一言だったと思います。
ただ、いま振り返ると——その一言が、私たち親子と「腰椎分離症」との、何年にもわたる付き合いの、本当の入り口でした。

そのときの私は、まだ知りません。

これが一度きりの怪我では終わらないことも、
診察室の同じ椅子に、これから何度も座ることになることも、
「治った」という言葉を、何年経っても私が口にできずにいる、ということも。

— — —

最初の診断までのことは、シリーズ #02「腰椎分離症 努力の先で、野球を奪われた日」に書きました。
ここからの話を読んでくださる方のために、短く振り返ります。

家の近くの整形外科でレントゲン。「念のため、大きな病院でMRIを」と紹介状。
告げられた病名は、「初期の腰椎分離症」——腰の骨の、疲労骨折でした。

「成長期で野球をしているお子さんに、わりとよくある怪我なんですよ」
「特に野球は、素振りのような同じ動作の繰り返しで起こりやすいんです」

——素振り。

体が大きく、力も強い息子でした。
チームのキャッチャーで、監督から「こんなに上手いキャッチャーは初めてだ」と言ってもらえていた頃。
「野球だけは誰にも負けたくない」と、夕食前のリビングで素振り、お風呂前にトスバッティング、自分でノルマを決めて毎日欠かさず。

誰よりも頑張っていた、その努力が、息子の腰の骨を少しずつ傷つけていたのでした。

帰りの車では、二人とも無言でした。

— — —

「まずは1ヶ月、野球も体育もお休み。並行してリハビリ。骨の回復を見ながら、少しずつトレーニングを」

野球ができない日の、1日の長いこと。
グラウンドにいた時間が、ぽっかりと空くのです。

リハビリで初めて教わったのは、これまでの「振る・打つ・走る」とはまったく別世界の、地味な動きでした。インナーマッスル。体幹トレーニング。骨盤を立てる座り方。
派手な打球の感触もなく、最初は明らかにつまらなそうな息子でしたが、それでも続けるしかありませんでした。

そうして、ふた月。

「練習してもいいですよ」と先生に言われた帰り道、何度も「よかったね」と繰り返したのを覚えています。

ただ、久しぶりにバットを握った息子の中には、怖さが残っていました。
強く振ったら、また折れるんじゃないか——。

少しずつ、確かめるように振って、
「痛くない」「できる」と分かった瞬間の、あの笑顔。

やったー!

復帰してすぐの大会で、息子はキャッチャーで戻り、バッティングも守備も大活躍して、チームを優勝まで連れて行ってくれました。

——もう、大丈夫。

病院通いも、リハビリの日々も、これで終わった。

私は、心からほっとしていました。

いま、当時の自分の肩を、そっと叩いて止めたい気持ちになります。
その「ほっと」が、たった数ヶ月で裏切られることになるとは、その日の私は、まだ思ってもいませんでした。

— — —

6年生になって、しばらく経った頃。
4月の終わり、息子がまた言いました。

「お母さん。腰、なんか違和感がある」

その瞬間の、自分の心臓の音を、いまも覚えています。
ドクン、と、嫌な感じに鳴った。

迷わず整形外科へ。レントゲン。MRI。
診察室で、ふたたび、あの言葉。

「初期の腰椎分離症です」

息子の顔から、表情がすっと消えました。
私も、こらえきれませんでした。

「一度なると、再発しやすいんです」
先生は静かに言いました。
「今回は、しっかり治しましょう。野球は3ヶ月、お休みです」

3ヶ月。
6年生の最高学年で、一番頑張らないといけない時期に、3ヶ月。

最初の1ヶ月は、安静。
グラウンドにも、行けない。

家族でゆっくりご飯を食べる時間が、ふしぎとそこにありました。
ああ、こんな時間も、悪くないな。
そう思いたかったんだと思います。
でも、息子の目から、いつもの元気はありませんでした。

弟は、野球の練習に出かけていく。
息子がぽつり、「いいなぁ」。

その頃、息子と二人で、神社にもお寺にも、お墓参りにも行きました。
神頼みも、しました。徳を積むため積極的にゴミも拾いました。

1ヶ月後、ようやくトレーニングが許されて、グラウンドへ。
仲間が打って、走って、声を出している、その脇で、息子はシートを敷いてトレーニングをしました。

体幹トレーニングだけでなく、腰を捻らないでできることを必死に探してやっていました。

「もう絶対、こんな思いをしてたまるか」

7月の終わり、ようやくグラウンドへ復帰。
ただ、監督から「キャッチャーはやめておこう」と告げられました。
腰に負担がかかるから。
息子がいちばん好きだったポジション。

でも、野球ができればどこでもいい。

ピッチャー、ファースト、サード。
休んでいた間に鍛えたトレーニングが、ふしぎと、バッティングを押し上げてくれて、柵越えのホームランも打てるようになっていました。
キャッチャーで鍛えた強い打球への反応は、サードの守備でも生きました。

息子の笑った顔を見ながら、私はまた泣きました。

——もう、これで、終わりにしてください。

そう、誰にともなく、祈っていました。

その祈りは、届きませんでした。

— — —

息子は強豪の中学硬式チームに進みました。
ポジションはサード。
順調でした。
順調だった、はずでした。

中学1年の秋の終わり。
2年の6月。
息子はまた、整形外科の診察室にいました。
いずれも、初期の腰椎分離症。

「お母さん、また、あれ、なってる気がする」
息子は自分から、痛みのSOSを口にできるようになっていました。
だから早く分かった、とも言えるし、痛みに敏感になっていた、とも言えます。

「またか」。

指導者へ怪我の報告をしながら泣きました。帰りの車で泣きました。

「もう絶対再発したくない。できることは全部やる」と、
息子も私も腹をくくりました。

骨を整える整体に、車で1時間半かけて送迎しました。何度も、何度も。
運転が苦手な私が、いつのまにか、長距離運転に慣れていました。

祖母が通っていたピラティスにも連れて行きました。
もともとは負傷した兵士のリハビリだと聞いて、これがいいかも、と思いました。
おばちゃん先生とのマンツーマンレッスン。
普通、思春期の男の子は、嫌がるはずです。
でも息子は、「治したい」一心で、何でもやりました。

中学のチームトレーナーが、マンツーマンでトレーニングを見てくれました。
みんなが野球をしている時間に、一人だけ、トレーニング。
バットのスイングも、腰に負担がかからないように、研究して、変えました。

「もう絶対、同じ道は通らない」
そう思って準備して、それでも、痛みはまたやってきました。

ただ、それでも前向きに続けることができたのは、おそらく、理由がありました。

このチームには、同じ道を歩いた先輩が、たくさんいたのです。

腰椎分離症は、野球の世界では、珍しくない怪我です。
腰椎分離症が進行したすべり症の経験があってもキャッチャーを続けている先輩。
何度も再発を経験したけれど、有名な大学や社会人野球で活躍している先輩。
1学年上に、息子と全く同じサードで、同じ時期に分離症になって、それを乗り越えてレギュラーで活躍している先輩。
同級生にも、同じ腰椎分離症の子がいました。

「休めば、また野球はできる」
そう、何人もの先輩が、息子に伝えてくれました。

それは「希望」と呼ぶには、もうちょっと地味なものでした。
だってみんな、何度も再発して、何度も泣いて、それでも諦めなかった、その途中にいる人たちだったから。
「治った人の話」じゃなくて、「歩いている人の話」だったから。

それが、ふしぎと、息子を支えました。
そして、私のことも、支えてくれました。

— — —

中2の夏に先輩が引退して、息子は4番サードに座りました。
そこからは、ふしぎと、再発はありませんでした。
コルセットをつけたまま打席に立つ時期もありましたが、中学を卒業する頃には、コルセットは外れました。

いまは、高校の強豪校で、1年からレギュラーで使ってもらえるところまで来ました。
成長期が終わって、筋肉で骨を支えるようになったからでしょうか。
痛みは出ていないそうです。

——よかったですね。
そう書きたい気持ちは、あります。

でも、私はまだ、「治った」とは、書けません。

我が家の場合、腰椎分離症を、何度も繰り返しました。
今、痛みが出ていないことが、ずっと続くものなのか、私には分かりません。

ただ、息子は、自分で自分のケアができるようになりました。
痛みのSOSが出る前に、トレーニングで予防できるようになりました。
家を離れて寮にいても、自分で動けます。
それは、安心と引き換えに、息子が身につけたものでした。

何度倒れたかは、もう数えていません。
何度立ち上がったかも、数えていません。
ただ、また腰に違和感が出る日が来れば、息子は、自分で動くと思います。
私も、また、車を出すと思います。

たぶん、これは、ずっと続いていきます。
それが、悪いことではない、と思える日が、いつか来るかもしれません。

来ない日も、あるかもしれません。

そのどちらでも、いい、と思えるところまでは、何年かかかりました。

— — —

少しだけ、当時の私が知らなかったことを整理しておきます。

  • 腰椎分離症とは:背骨の腰の部分(腰椎)の、椎弓(ついきゅう)というところが、繰り返しの負担で疲労骨折を起こしてしまった状態。
  • 多い年代:小学校高学年〜高校生の成長期に多いそうです。成長期の骨は、まだ柔らかい部分が残っていて、繰り返しの負荷に弱いとされています。
  • 多いスポーツ:腰を反らしたり、ひねったりする動きが多い競技。野球、サッカー、バレーボール、新体操など。
  • 検査:最初はレントゲンを撮ることが多いそうですが、初期の分離はレントゲンに映りにくいこともあり、MRIを撮ると、より早い段階で見つけやすくなる、と聞きました。
  • 早期発見:早く見つかるほど、骨がくっつく可能性が高いとされています。
  • 再発のこと:一度なると、再発しやすいと聞きました。我が家も、何度も繰り返しました。「初期だから今回も大丈夫」とは限らない、というのは、いま振り返って、当時の自分に伝えたいことです。
  • 受診の目安:2週間以上、腰の痛みが続くようなら、一度整形外科を受診するのが安心と言われているようです。

※症状や治療の判断は必ず医師にご相談ください。

「子どもが腰が痛い」と言ったら、軽く見ないで、早めに検査して診てもらってほしい——それだけです。

— — —

診察室で、息子の表情がすっと消えたあの瞬間に、もし、いまの私が立ち会えるとしたら。
私は、「大丈夫だよ」とは、言いません。

あの日の私への手紙

あなたが、これから泣く回数を、私は知っているよ。

一度や二度じゃないんだよ。
復帰した、と思ったら、また4月の終わりに、息子は腰に手を当てるんだよ。
中学に入ってからも、何度か、同じ診察室に座ることになるんだよ。

ごめん。
でも、嘘はつけないから、書いておくね。

ただ、これだけは、伝えたい。

あなたは、何度も、立ち上がっていくよ。
息子も、自分で歩く力を、ちゃんとつけていくよ。

整体に1時間半かけて運転する自分も、
ピラティスのおばちゃん先生に頭を下げる自分も、
グラウンドの脇で、ゴムバンドのトレーニングをする息子の背中を見ている自分も、
ちゃんと、無駄じゃないからね。

「治った」と、すぐには言わせてもらえないけれど、
「歩いている」と、言える日は、ちゃんと、来るからね。

※ このブログは、特定の医療機関や治療方針を推奨するものではありません。腰椎分離症の診断や治療の判断は、必ず専門の医師にご相談ください。「我が家の場合」の振り返りとして読んでいただけたら幸いです。

※「腰椎分離症」と付き合いながらの成長記録も、これから少しずつ書いていきます。よかったら、また読みに来てください。


過去の記事は、こちらから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました