野球未経験かあちゃんの記録 #14|みんなちがって みんないい

母の心と声かけ

あの頃の私への手紙#14

みんなちがって みんないい 

ー 兄の背中と、弟の「まだやりたい」が繋いだ笑顔の循環 ー


うちは、長女の 4学年下に 長男、
さらに その3学年下に 次男がいる、
3人きょうだいです。

3人は、同じ親から生まれて、同じ家で、育ったのに、
本当に、何もかもが、違いました。
その違いに、母として、しょっちゅう、振り回されていた、あの頃の話を、書いておきます。


姉は、小さい頃は よく泣きました。
初めての子でしたので、
こんなに大変なのかと思いながらも 受け入れました。
小学生になると 長女らしく
手のかからない しっかり者になりました。

兄は、小さい頃から、とにかく、活発な子でした。

体が大きく、力が強い。
運動神経も、抜群によかった。
人を笑わせるのが、好きな子でした。

公園では、坂道ダッシュも、自分でタイムを決めて、全力で駆け上がる。

「何秒で登れるか、測って」

真っ赤な顔で、何度も登っていく姿に

——この子は、もう、スポーツで、伸ばしてあげるしかないな。

そう思って、毎日のように、公園に、通っていました。


弟は、まったく、違いました。笑
長女とも また違う。

体は小さい方で、よく不安になる
体を動かすのを、面倒がる子でした。

兄弟児のお友達同士で集まっても、
年下の子に 意地悪をされて、いじけていることも ありました。

地域の子育てサークルに、連れて行っても、
参加してくれない。笑

比べないように、してきたつもりなのに、ね。

そんな日が、確かに、ありました。


そんな弟を、救ってくれていたのは、

実は、兄と姉、だったのかも しれません。

弟が 何かで グズグズしていても、
兄が ふざけて 笑わせる。
姉が ちょっかいを 出す。
気がつくと、家族みんなで 笑っている。

——「笑顔の循環」と、

私は 勝手に 呼んでいました。

一人が、心配でも、別の子が 笑顔にしてくれる。
私が しおれた日でも、誰かが、誰かを、笑わせている。

——兄弟って、いいな。

そう、私が ようやく 心から思えたのは、あの「笑顔の循環」を、何度も、目撃したから、でした。

(大変な事も 3倍あるんですけどね。笑)


弟と、野球との出会いは、

——兄の、おかげです。

父が単身赴任だった、あの頃。
家からグラウンドが遠かったので、
週末は、兄の野球の送迎や試合の応援に、明け暮れていました。

弟も、当然、連れて行きました。
3歳下の弟は、野球には まったく 興味がなく、
グラウンドの隅で、いつもゲーム機を 握っていました。
付いてきてもらっているので
機嫌を取るために お菓子も食べ放題です。

そんな弟と グラウンドにいる優しいお父さんコーチ達が、
柔らかいボールで、遊ぼうと 誘ってくれました。
下手なのに、めっちゃ 褒めてくれる。

最初は、恥ずかしそうにしていた弟が、野球経験者のお父さんから、

「センスあるよ。この年で、この球を投げれるのは、すごいよ。」

——そんな言葉を、もらいました。褒め上手なお父さんでした。

家の中では、どうしても、兄と比べられて、褒められる機会の少なかった弟が、
家族以外の大人から、まっすぐ褒めてもらえた瞬間、でした。

そこから、弟は 調子に乗って、次から次へと、自分から、キャッチボールを、したがるように、なりました。


体験会にも、何度も、呼ばれて行きました。
最初は 人数合わせの サクラでしたが。

「体験は、5回までよー」

——コーチが、冗談で そう言うくらい、
何度も、何度も、ユニフォームのない弟は、
グラウンドに 混ぜてもらっていました。

部費も払っていないのに、何度も、何度も…と、私は、こっそり、心苦しく、なっていました。

ある日、体験会のあと、
体験の子は、先に終わって 帰る時間。
部員の子たちは、まだ 練習が続く。

——弟は、その輪の真ん中で、

「まだ、やりたい」

そう、泣きました。

ゲーム機ばかり 握っていた あの子が、
グラウンドに 立ったまま、泣いていました。

嬉しかった、です。

「やりたい」と泣ける場所が、ようやく この子にもできた。

——でも 嬉しい より、ちょっとだけ早く、

「この生活が、プラス、3年なのか…」

——そんなことが、頭をよぎって、実は、私の方が その場で 泣いていました。


弟が入部してからの、兄と弟の関係は、本当に 面白かったです。

兄からの ダメ出しは、母からの 百倍くらい ありました。

——でも、弟は それを、まっすぐ、聞いていました。

私は、野球が 分からない。
兄は、野球を 自分で 結果を出している。

——弟にとって、兄は 専属コーチ みたいなものだったのかも しれません。

そして、

兄の背中は、母が、いくら声をかけても変わらなかったことを、変える力が ありました。

自主練の質も、走る速さも、グラウンドへの向き合い方も、
兄を 見ているうちに、弟は 勝手に 変わっていきました。

母が、「自主練しない?」と言っても動かなかった子が、
兄が、黙って素振りをしていると、横で 自分も バットを振っていました。


兄が、ホームランを 打った日が ありました。

そのことを、いちばん 嬉しそうにしていたのは、

——弟、でした。

普段ならやってくれないであろう兄に 
自分から 手を出して
ハイタッチ、していました。

その瞬間の 二人の写真は、いまでも 私の 宝物です。

私には、できないことが、
兄と 弟の間には ある。

そう、思いました。


弟が、6年生で キャプテンに、なりました。

リーグ優勝した あの試合は、
家族 全員で、応援に 行きました。
中学生になっていた、兄も、一緒に。

普段、兄は 弟のことを ほとんど 褒めません。

でも、その日の試合の後、ぽつりと こう、言いました。

「あいつ、なかなか、やるやん。」

それから、兄の 弟への態度が、ちょっとだけ、変わった 気がします。

兄は、実力はある。でも、リーグ優勝も キャプテンも 経験していません。
弟は、兄が できなかった経験を やってのけてしまった。

兄に「すごい」を言わせた、弟の姿は、母の私が、何百回、「すごいね」と言うより、ずっと、弟の中に、残ったはずです。


同じチームで、

兄が、小2で入部した時の景色と、
弟が、6年生で、キャプテンとして、卒部した時の景色は、
全く、違うものでした。

グラウンドの隅で、ゲーム機を握っていた、あの子が、
マウンドに、立っていました。

バッティングは、ぼちぼちで
足も、そんなに速くなかったけれど、
コントロールのいい球を 投げられるようになっていて、
盗塁王にも なっていて、
笑顔が チームの笑顔に なっていました。

私も頑張った。でも、それ以上に

弟を、取り巻いてくれた、たくさんの いい人たち。
柔らかいボールで 遊んでくれた、お父さんコーチ。
「センスあるよ」と、褒めまくってくれた 大人たち。
冗談で「体験5回まで」と、笑った、コーチ。
そして、「あいつ、なかなかやるやん」と、ぽつりと言ってくれた、兄。

——弟は、
周りの たくさんの人たちに、育ててもらっていた のだと思います。


「弱小だろう」と言われていた弟たちの代が、リーグ優勝した、その日。

弟を、ずっと見守ってくださっていた、元監督、新監督、コーチ、OB、たくさんの方々が、本当に、本当に、喜んでくださいました。

リーグ優勝するチームに、ふたたび 戻れた——
その景色を、誰よりも 喜んでくれた人たちが、グラウンドに、いました。

それを見ていて、思いました。

——あぁ、たぶん、こうやって、続いていくのだろうな。

頑張りの、循環。

喜びの、循環。

うちの子が、いつか 大人になって、
今度は、誰かを、柔らかいボールで遊んであげる側に、立つ日が 来るのかもしれない。
そうやって、別のグラウンドで、別の子が また、「まだ、やりたい」と、泣くのかもしれない。

——その循環に 入れて よかった。


あの頃の私に、もし、いま、声を、かけられるなら——

比べたらいけない。
でも、実は
こっそり しおれていた、あなたを ちゃんと 知っているよ。

ダメな母だと、思わなくて 大丈夫。

グラウンドの隅で ゲーム機を握っていた、あの子は、
ちゃんと 自分で 立ち上がるよ。

兄の背中を見て、
お父さんコーチの「センスあるよ」に 喜んで、
「まだ、やりたい」と、グラウンドで 泣くからね。

あなたが、「プラス3年か…」と、こっそり泣いた その3年は、
リーグ優勝の マウンドに、ちゃんと 繋がっているよ。

そして、その日 ぽつりと、「あいつ、なかなかやるやん」と、
言ってくれる、お兄ちゃんが いるからね。

弟は、たくさんの いい人たちが、一緒に 育ててくれていたよ。

その人たちの笑顔も、また いい循環の輪になって 続いていくのを、
ちゃんと、見られる日が 来るからね。


※ このブログは、特定の個人・チーム・指導者を批判する意図はありません。すべて「我が家の場合」の振り返りです。

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