うちは、長女、長男、次男の
3人きょうだいです。
タイプの違う3人の子育て。兄弟がいて悩んだこと 成長したことがありました。
体格や性格が違う 兄弟
姉は、小さい頃は よく泣きました。
初めての子でしたので、
こんなに大変なのかと思いながらも 受け入れました。
小学生になると 長女らしく
しっかり者になりました。
兄は、小さい頃から、とにかく、活発な子でした。
体が大きく、力が強い。
運動神経がよく、
人を笑わせるのが、好きな子でした。
公園では、坂道ダッシュを 自分で目標タイムを決めて、全力で駆け上がる。
「何秒で登れるか、測って」
真っ赤な顔で、何度も登っていく姿に
——この子は スポーツで 伸ばしてあげるしかないな。
そう思って、毎日のように 公園に 通っていました。
弟は まったく 違いました。笑
長女とも また違う。
体は小さい方。よく不安になり
体を動かすことが得意ではなかった。
いじけていることも よくありました。
比べないように してきたつもりですが、
心配になる日は、確かに ありました。
笑顔の循環
そんな弟を、救ってくれていたのは、
実は、兄と姉、だったのかも しれません。
弟が 何かで いじけていても、
兄が ふざけて 笑わせる。
姉が ちょっかいを 出す。
一人が、心配でも、別の子が 笑顔にしてくれる。
私が しおれた日でも、誰かが、誰かを、笑わせている。
——兄弟って、いいな。
(大変な事も 3倍あるんですけどね。笑)
弟が野球に出会ったのも、兄のおかげでした
弟と、野球との出会いは、
——兄の、おかげです。
父が単身赴任だった、あの頃。
週末は、兄の野球の送迎や試合の応援に、明け暮れていました。
弟も、当然、連れて行きました。
グラウンドの隅で、いつもゲーム機を 握っていた弟を、優しいお父さん達や コーチ達が、柔らかいボールで、遊ぼうと 誘ってくれました。
「センスあるよ。この年で、この球を投げれるのは、すごいよ。」
家の中では、どうしても、兄と比べられて、褒められる機会の少なかった弟が、
家族以外の大人から、まっすぐ褒めてもらえた瞬間、でした。
(グラウンドの隅にいた弟が、「僕も野球したい」と言うまでの話は、運動が苦手だった弟が、少年野球チームのキャプテンになるまで に書きました。私が「プラス3年か…」と、こっそりため息をついたことも。)
兄からのダメ出しは、母の10倍ありました
弟が入部してからの、兄と弟の関係は、本当に 面白かったです。
兄からの ダメ出しは、母からの 10倍くらい ありました。
——でも、弟は それを、まっすぐ、聞いていました。
私は、野球が 分からない。
兄は、自分で 野球の 結果を出している。
——弟にとって、兄は 専属コーチ みたいなものだったのかも しれません。
そして、
兄の背中は、母が、いくら声をかけても変わらなかったことを、変える力が ありました。
自主練の質も、走る速さも、野球への向き合い方も、
弟は 勝手に 成長していきました。
母が、ああしたら?こうしたら?と言っても動かなかった子が、
兄が、黙って素振りを始めると、横で 弟も バットを振っていました。
ハイタッチの写真は、いまでも私の宝物
兄が、ホームランを 打った日が ありました。
そのことを、いちばん 嬉しそうにしていたのは、
——弟、でした。
普段は そんなことやらないのに。
自分から 手を出して
ハイタッチ、していました。
私には、できないことが、
兄と 弟の間には ある。
そう、思いました。
「あいつ、なかなか、やるやん。」
弟が、6年生で キャプテンに、なりました。
リーグ優勝した あの試合は、
家族 みんなで 応援に 行きました。
中学生になっていた、兄も 一緒に。
普段、兄は 弟のことを ほとんど 褒めません。
でも、その日の試合の後、ぽつりと こう、言いました。
「あいつ、なかなか やるやん。」
それから、兄の 弟への態度が、ちょっとだけ 変わった 気がします。
兄は、実力はある。でも、リーグ優勝も キャプテンも 経験していません。
弟は、兄が できなかった経験を やってのけてしまった。
兄に「すごい」を言わせた事は、母の私が、何百回、「すごいね」と言うより、ずっと、弟の中に、残ったはずです。
人との繋がり
野球で出会えた、たくさんの いい人たち。
柔らかいボールで 遊んでくれた、お父さんたち。
「センスあるよ」と、褒めまくってくれた 大人たち。
兄と比べることなく 我が子のように接してくれた 指導者たち。
そして、「あいつ、なかなかやるやん」と、ぽつりと言ってくれた、兄。
——弟は、
周りの たくさんの人たちに、育ててもらっていた のだと思います。
「弱小だろう」と言われていた弟たちの代が、リーグ優勝した、その日。
弟を、ずっと見守ってくださっていた、監督、コーチ、OB、たくさんの方々が、本当に喜んでくださいました。
リーグ優勝するチームに、ふたたび 戻れた——
その景色を、誰よりも 喜んでくれた人たちが、グラウンドに いました。
(そのチームがどん底だった頃の話は、少年野球の部員不足 23対0で、時間切れになった、雨の練習試合の日 に書きました。)
それを見ていて、思いました。
——あぁ、こうやって 続いていくのだろうな。
うちの子が、いつか 大人になって、
今度は、誰かを、柔らかいボールで遊んであげる側に 立つ日が 来るのかもしれない。
——野球を通して たくさんのいい人と 出会えた。
あの頃の私へ
比べたらいけない。
でも、実は
こっそり しおれていた、あなたを ちゃんと 知っているよ。ダメな母だと、思わなくて 大丈夫。
あなたの声かけでは 動かなかったあの子は、
お兄ちゃんの背中を 見て、勝手に バットを振り始めるからね。そして いつか その日 ぽつりと、「あいつ、なかなかやるやん」と、
言ってくれる、お兄ちゃんが いるからね。弟は、たくさんの いい人たちが、一緒に 育ててくれたよ。
その人たちの笑顔は、また いい循環の輪になって 続いていくのを、
ちゃんと、見られる日が 来るからね。
※ このブログは、特定の個人・チーム・指導者を批判する意図はありません。すべて「我が家の場合」の振り返りです。
※ よかったら、また、読みに来てください。


コメント