腰椎分離症の再発を4回 「治った」とまだ言えない母の、正直な記録

ケガと回復の記録

※これは我が家の体験の記録です。私は医療の専門家ではありません。腰の痛み・診断・治療については、必ず医療機関にご相談ください。

小5、小6、中1、中2。
息子は4回、同じ診察室に座りました。
病名は、いつも同じ。
腰椎分離症(初期)——腰の骨の、疲労骨折です。
正直に書きます。
今もまだ、私は「治った」と、言えていません。
これは「治った話」ではなく、「まだ歩いている途中の話」です。

入り口は、小学5年生の「腰、なんか痛い」

素振りの自主練の最中でした。
「ねえ、お母さん。腰、なんか痛い」
家の近くの整形外科でレントゲン。「念のため、大きな病院でMRIを」と紹介状。
告げられたのは、「初期の腰椎分離症」。
原因は、素振りのやりすぎでした。
帰りの車では、二人とも無言でした。

(最初の診断までのことは、小学生の腰椎分離症 努力の先で、野球を奪われた日に書きました。)

そのときの私は、まだ知りません。
これが一度きりの怪我では終わらないことも、
同じ椅子に、これから何度も座ることになることも、
「治った」という言葉を、何年経っても私が口にできずにいる、ということも。

1回目の復帰 「もう、大丈夫」と思っていた

「まずは1ヶ月、野球も体育もお休み。並行してリハビリ」
野球ができない日の、1日の長いこと。
グラウンドにいた時間が、ぽっかりと空くのです。

そうして、ふた月。
「練習してもいいですよ」と言われた帰り道、何度も「よかったね」と繰り返したのを覚えています。
ただ、久しぶりにバットを握った息子の中には、怖さが残っていました。
強く振ったら、また折れるんじゃないか——。
少しずつ、確かめるように振って、
「痛くない」「できる」と分かった瞬間の、あの笑顔。
やったー!

復帰してすぐの大会で、息子はキャッチャーで戻り、バッティングも守備も大活躍しました。
——もう、大丈夫。
私は、心からほっとしていました。
いま、当時の自分の肩を、そっと叩いて止めたい気持ちになります。
その「ほっと」が、たった数ヶ月で裏切られることになるとは、その日の私は、まだ思ってもいませんでした。

6年生の再発 「一度なると、再発しやすいんです」

6年生になって、しばらく経った頃。
息子がまた言いました。
「お母さん。腰、なんか違和感がある」
その瞬間の、自分の心臓の音を、いまも覚えています。
ドクン、と、嫌な感じに鳴った。

迷わず整形外科へ。レントゲン。MRI。
診察室で、ふたたび、あの言葉。
「初期の腰椎分離症です」
息子の顔から、表情がすっと消えました。
私も、こらえきれませんでした。

「一度なると、再発しやすいんです」
先生は静かに言いました。
「今回は、しっかり治しましょう。野球は3ヶ月、お休みです」

3ヶ月。
最高学年で、一番頑張らないといけない時期に、3ヶ月。
最初の1ヶ月は、安静。グラウンドにも、行けない。
久しぶりに ゆっくり過ごす週末でした。
ああ、こんな時間も、悪くないな。
そう思いたかったんだと思います。
でも、息子には いつもの元気がありませんでした。
弟は、野球の練習に出かけていく。
息子がぽつり、「いいなぁ」。

その頃、息子と二人で、神社にもお寺にも、お墓参りにも行きました。
徳を積むため、積極的にゴミも拾いました。

1ヶ月後、ようやくトレーニングが許されて、グラウンドへ。
仲間が打って、走って、声を出している、その脇で、息子はシートを敷いてトレーニングをしました。
腰を捻らないでできることを、必死に探してやっていました。
「もう絶対、こんな思いをしてたまるか」

7月の終わり、ようやく復帰。
ただ、監督から「キャッチャーはやめておこう」と告げられました。
腰に負担がかかるから。
息子がいちばん好きだったポジション。
でも、野球ができればどこでもいい。
ピッチャー、ファースト、サード。

休んでいた間に鍛えたトレーニングが、ふしぎと、バッティングを押し上げてくれて、打球が見違えるほど飛ぶようになっていました。
キャッチャーで鍛えた強い打球への反応は、サードの守備でも生きました。
息子の笑った顔を見ながら、私はまた泣きました。
——もう、これで、終わりにしてください。

その祈りは、届きませんでした。

中学でも2回 「できることは全部やる」と腹をくくった

息子は中学硬式チームに進みました。
ポジションはサード。
順調でした。
順調だった、はずでした。

中学1年の秋。
中学2年の初夏。
息子はまた、整形外科の診察室にいました。
いずれも、初期の腰椎分離症。

「お母さん、また、あれ、なってる気がする」
息子は自分から、痛みのSOSを口にできるようになっていました。
だから早く分かった、とも言えるし、痛みに敏感になっていた、とも言えます。

「またか」。
指導者へ怪我の報告をしながら泣きました。帰りの車で泣きました。
「もう絶対再発したくない。できることは全部やる」と、息子も私も腹をくくりました。

腕のいい整骨院があると聞けば、車で1時間半かけて送迎しました。何度も、何度も。
リハビリのためのピラティスにも連れて行きました。
おばちゃん先生とのマンツーマンレッスン。
「治したい」一心で、何でもやりました。
みんなが野球をしている時間に、一人だけ、トレーニング。
バットのスイングも、腰に負担がかからないように、変えていました。

「もう絶対、同じ道は通らない」

我が家の、再発4回の記録

時期ポジションそのとき
小5キャッチャー初めての診断。1ヶ月の休養とリハビリから復帰
小6キャッチャー → 内野3ヶ月の休養。いちばん好きなポジションを離れる
中1の秋サードリハビリ・体幹トレーニング・整体・ピラティスに通い始める
中2の初夏サードできることは何でもやる!

支えてくれたのは「同じ道を歩いている人」だった

前向きに続けることができたのには、おそらく、理由がありました。
チームには、同じ道を歩いた先輩が、たくさんいたのです。
腰椎分離症は、野球の世界では、珍しくない怪我です。

分離症が進行したすべり症を経験しても、キャッチャーを続けている先輩。
何度も再発したけれど、有名な大学や社会人野球で活躍している先輩。
1学年上に、息子と同じポジションで、同じ時期に分離症になって、それを乗り越えて活躍している先輩。
同級生にも、同じ腰椎分離症の子がいました。

「休めば、また野球はできる」
そう、何人もの先輩が、息子に伝えてくれました。

それは「希望」と呼ぶには、もうちょっと地味なものでした。
だってみんな、何度も再発して、何度も泣いて、それでも諦めなかった、その途中にいる人たちだったから。
「治った人の話」じゃなくて、「歩いている人の話」だったから。

それが、ふしぎと、息子を支えました。
そして、私のことも、支えてくれました。

いま 「治った」ではなく「歩いている」

先輩が引退した後、息子はサードで試合に出るようになりました。
そこからは、再発はありません。
コルセットをつけたまま打席に立つ時期もありましたが、中学を卒業する頃には、コルセットは外れました。
その後、高校でも、全力で野球をしています。
成長期が終わって、筋肉で骨を支えるようになったからでしょうか。
痛みは出ていないそうです。

——よかったね。
そう書きたい気持ちは、あります。
でも、私はまだ、「治った」とは、書けません。
今、痛みが出ていないことが、ずっと続くものなのか、私には分かりません。

ただ、息子は、自分で自分のケアができるようになりました。
痛みのSOSが出る前に、トレーニングで予防できるようになりました。
家を離れて寮にいても、自分で動けます。
それは、安心と引き換えに、息子が身につけたものでした。

何度倒れたかは、もう数えていません。
何度立ち上がったかも、数えていません。
ただ、また腰に違和感が出る日が来れば、息子は、自分で動くと思います。
私も、また、車を出すと思います。
たぶん、これは、ずっと続いていきます。

この記事から持ち帰ってほしいこと

  • 「初期だから、今回で終わり」とは限りません。我が家は小5・小6・中1・中2と繰り返しました。復帰してからの数ヶ月こそ、腰の声を聞く時期だと思います。
  • 子どもが自分で「また、あれ、なってる気がする」と言えるようになると、発見が早くなります。痛みを我慢しない空気を、家の中に作っておくこと。
  • 支えになるのは「同じ道を歩いている人の姿」でした。チームや周りに、同じ怪我を経験した先輩がいないか、聞いてみてください。

あの日の私への手紙

診察室で、息子の表情がすっと消えたあの瞬間に、もし、いまの私が立ち会えるとしたら。
私は、「大丈夫だよ」とは、言いません。

あなたが、これから泣く回数を、私は知っているよ。
一度や二度じゃないんだよ。
復帰した、と思ったら、また4月の終わりに、息子は腰に手を当てるんだよ。
中学に入ってからも、何度か、同じ診察室に座ることになるんだよ。
ごめん。
でも、嘘はつけないから、書いておくね。
ただ、これだけは、伝えたい。
あなたは、何度も、立ち上がっていくよ。
息子も、自分で歩く力を、ちゃんとつけていくよ。
整体に1時間半かけて運転する自分も、
ピラティスのおばちゃん先生に頭を下げる自分も、
グラウンドの脇で、トレーニングをする息子の背中を見ている自分も、
ちゃんと、無駄じゃないからね。
「治った」と、すぐには言わせてもらえないけれど、
「歩いている」と、言える日は、ちゃんと、来るからね。

※ このブログは、特定の医療機関や治療方針を推奨するものではありません。腰椎分離症の診断や治療の判断は、必ず専門の医師にご相談ください。「我が家の場合」の振り返りとして読んでいただけたら幸いです。

※「腰椎分離症」と付き合いながらの成長記録も、これから少しずつ書いていきます。よかったら、また読みに来てください。

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