野球未経験かあちゃんの記録 #09|「疲れた」を「よくがんばったね」に変えた夜

母の心と声かけ

あの頃の私への手紙 #09

ノートが、私の話を、聞いてくれた 

ー 誰にも言えない夜を、レシピの裏に書き散らしていた頃の話 ー


子供達が寝静まった、夜のダイニング。
私はあの頃、一冊のノートを、後ろから、開いていた。

そして、ちゃんと、元気になって、閉じていた。


野球とは、少しだけ、離れた話を、書いておきます。

長男が小3から小5くらいの頃。
父が単身赴任で、私は、子供3人を、ほぼワンオペで、育てていた、その頃のことです。

長女は中学生で塾と超ハードな部活、長男は新しいチームで野球、次男は幼稚園。
それぞれの送迎、それぞれの予定、それぞれの持ち物。

ちょうど新しい仕事も始めた頃で、
ご丁寧に、幼稚園の役員のくじまで、引き当てた頃でした。

「これ、いつか、倒れるかも」

そんなことを、ふと、思う日も、ありました。

でも、私は、倒れなかったです。

倒れなかったのは、たぶん、

あのノートが、あったから。


開いていたのは、料理のノート、でした。

主婦になって、「これ、いいな」と思ったレシピを、書き溜めていた、ルーズリーフのファイルノート。

でも、私が、夜に、開いていたのは、

レシピの面、では、なくて。

そのノートを、ひっくり返して、

——後ろ表紙、を、表紙にして、後ろから、書く。

そこに、書き散らしていたのは、レシピなんかじゃ、なくて、

誰にも、見せられない、私の心の中の、ぐちゃぐちゃの言葉、でした。

字も、文章も、めちゃくちゃ。

絶対、誰にも、見せられない。

でも、書かないと、眠れない。

そんな夜だけ、私はノートを、後ろから、開いていました。


書き出しは、だいたい 同じでした。

これまでの、私、がんばったねー。

まず、自分で、自分の頭を、なでてあげる。

過去の自分に、ちゃんと、慰められてから、

今回のストレスを、書き始める。

そういう順序を、私は、いつのまにか、決めていました。

書き散らしているうちに、文章は、だんだん、変わっていきます。

最初は、ぐちゃぐちゃ。
途中から、ちょっとずつ、自分に話しかける口調になって。
最後の方には、いつも、こう、書いていました。

これまで、こんなことも、乗り越えてきたんだから、
今回も、大丈夫。

私は、自分で、自分を、なだめる方法を、

ノートの上で、知らないうちに、覚えていたのだと、思います。


その頃、ノートに、書き散らしていた言葉を、いくつか、引っ張ってみます。

無理しない、無理しない。
できる方法を、考える。

ここで、頑張ることにしたんよね。
思い出した。

人は人、自分は自分。
マイナスな空気に、引っ張られたら、人生もったいない。

3人も、宝物がいる。
他は、なんとでも、なる。

今日は、久しぶりに、疲れたね。
いつも、いっぱい、がんばってるね。
これで、ダメだったら、やめよう。

「これで、ダメだったら、やめよう」、は、

完璧に頑張らなくて、いい。
ダメだったら、やめる、っていう、逃げ道を、自分で、握ったうえで、

もうちょっとだけ、踏ん張る。

そういう、不器用な、自分のなだめ方を、私は、していました。


ここで、書いておきたいことが、一つ、あります。

その頃の、私の、口癖は、

「疲れた」、でした。

何かを、やり遂げた時。
洗い物が、終わった時。
やっと 椅子に座った時。

口に出していたのは、いつも、「疲れた」。

ある日、

「『疲れた』、言いすぎだよ」

——子どもに、言われたんです。

人の感情は伝染しますからね、、、

ダメね、と、思いました。

そこから、私は、口癖を、変えました。

「疲れた」、を、

「よく、がんばったね」、に。

最初は、ぎこちなかったです。

でも、声に、出してみると、

不思議と、自分自身に、ちゃんと、伝わるのです。

そして、子どもたちにも、

「今日、よく、がんばったね」と、

自然と、言えるように、なっていきました。

——あの夜、ノートに、書いていた「自分の頭を、なでる」儀式の、応用編。


ノートに、書きながら、ある日、

——うちには、3人も、子どもが、いる。

3人とも、いま、元気で、頑張っている。

たった、それだけのことが、

ノートに、書き散らしているうちに、ようやく、見えてきました。

「ない」ものばかり、数えていた頃の私が、

ノートの上で、少しずつ、「ある」ものを、書き出すように、なっていきました。

3人、宝物がいる。
こんなに、楽しませてくれて、ありがとう。

そんな一行を、ぐちゃぐちゃの殴り書きの、後ろに、書いた夜は、

ちゃんと、眠れた、気が、します。


そのノートは、いまも、私の手元に、あります。

レシピを、開けば、レシピのページが、出てくる。
ひっくり返せば、当時の私の、走り書きが、出てくる。
料理は他に誰もしないから、家族にバレないです。

実は目に付く サッと取り出せる場所にあります。笑

レシピは、家族の食卓を、支えて、
裏側の走り書きは、私の心を、支えてくれた。

いまでも、たまに、開きます。

これまでの、私、めっちゃがんばったねー

その一行を、自分の字で、読み返すと、

——あの夜の私が、いまの私に、声をかけてくれている。

そんな感じが、します。


いまになって、思うのです。

あの夜、ノートに、書き散らしていたから、

私は、壊れずに、済んだ。

そして、

あの夜の、「これまでの私、めっちゃがんばったねー」が、

いまの、子どもたちへの、

「今日、よく、がんばったね」、に、

ちゃんと、繋がっていたのだ、と。

ノートは、あの夜、私の話を、ちゃんと、聞いてくれていました。

そして、

その時、自分で、自分を、慰めていた力は、

いま、子どもたちを、慰める力に、なっていました。


あの頃の、私に、もし、いま、声を、かけられるなら——

あの夜は、本当に、苦しかったね。

ダイニングの灯りだけが、ぽつんと、ついていて、
子どもたちの寝息だけが、聞こえる、夜。

誰にも、言えない言葉を、書き散らして、
字も、文章も、めちゃくちゃで。

それでも、
ちゃんと、自分で、自分の頭を、なでてあげていたあなたを、
私は、ちゃんと、知っているよ。

大丈夫。

ノートは、いまも、ちゃんと、あなたの手元に、あるよ。

そして、あの夜、ノートが、あなたの話を、聞いてくれていたから、

いまの、あなたは、
子どもたちにも、ちゃんと、「よくがんばったね」と、声を、かけられる人に、なっているよ。

あの夜の、ノートは、無駄じゃない。

ちゃんと、「自分で、自分を、慰められる人」に、してくれるからね。
ちゃんと、「子どもたちにも、『よくがんばったね』と、言える母」に、してくれるからね。


※ このブログは、特定の個人・チーム・指導者を批判する意図はありません。すべて「我が家の場合」の振り返りです。

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